河崎村(中世)
室町期に見える村名。山鹿郡千田荘のうち。地名としての初見は南北朝期で,文中3年10月9日の千田荘永富村地検帳(正観寺文書/県史料中世1)に「一所 河崎河原」とあり,同地検帳は同年5月22日菊池武朝が永富村内田地4町を正観寺に寄進したのに伴い作製されたものである(同前)。村名の初見は応永21年12月13日の菊池兼朝寄進状(同前)で,「河崎村十郎丸名三町之事,為東松軒領会寄附三状如件」とある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451114
最終更新日:2009-03-01