ケータイ辞書JLogosロゴ 木柑子村(近世)


熊本県>菊池市

 江戸期〜明治22年の村名。菊池郡のうち。熊本藩領。天正17年の検地帳(県立図書館蔵文書)で高504石余,慶長9年の検地帳(同前)では高502石余うち田123石余・畠378石余。その後の村高は,「寛永郷帳」502石余,「正保郷帳」も同高でうち田123石余・畠378石余,「天保郷帳」503石余,「旧高旧領」547石余。「肥後国誌」によれば河原手永に属し,高545石余。また文化・文政年間の河原手永手鑑によれば,高545石余,請免は267石余,竈数60・人数275,駄馬75(肥後藩の農村構造)。なお慶長8年10月22日加藤清正は小代重定へ替地として木柑子村502石を宛行っている(小代文書/県史料中世4)。また天明2年には庄屋宇七が前年の諸勘定を小百姓に疑われ,庄屋役を遠慮する一件が起きている。集落の西に,氏神菅原神社が鎮座する。建久4年の勧請といい(菊池風土記),社記は天明8年,棟札は文化元年の再建を伝える。ほかに,寛永4年創立の東浦田平矢房神社,安政2年創立の東屋敷若竹神社がある(菊池郡市神社誌)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同10年の西南戦争では,日田街道の花房付近に台場を造った薩摩軍に対し,東山上・中辻・上辻に政府軍が布陣して対峙した。同14年民家を買収して木柑子小学校が開校し,隣村広瀬村の子弟にも教授した。同18年赤星村に菊南小学校が開校すると,同校はその支校となった。同22年花房村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451184
最終更新日:2009-03-01




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