ケータイ辞書JLogosロゴ 北海東村(近世)


熊本県>小川町

 江戸期〜明治22年の村名。下益城【しもましき】郡のうち。はじめ熊本藩領,正保3年からは宇土【うと】藩領。村高は,「寛永郷帳」680石余,「正保郷帳」も同高でうち田486石余・畠193石余,「天保郷帳」690石余,「旧高旧領」946石余。「肥後国誌」では河江手永に属し,高933石余,小村に平原村・大野村・白石村が見える。白石村は通常は白岩村とも書く。鎮守は西海東村にある海東阿蘇神社。民間信仰として,観音・天神・道祖神・山神・金比羅などが盛んであるが,寺院はない。日岳は石灰岩の巨岩からなり,山麓の村からは白岩の神山と呼ばれ,信仰の中心であった。高城・九万城などの城跡があり,近くの九万迫は古戦場と伝える。同所の近くに虎御前と呼ばれる塚があり,小字にもなっている。口碑によれば,九万迫の合戦に一人の女房が味方の軍が振るわないため,髪振り乱して敵中に躍り入り,奮戦の末,敵の矢に当たり相果てたと伝える。村人はその霊を弔うため塚を作り村の守り神にしたという。熊本県,八代県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同10年の西南戦争では,八代に上陸した政府軍と相対し,宮原・種山・氷川の線で敗れた薩摩軍が豊野村に至る上郷道路両側に台場を築き,当地一帯が戦場となった。同22年海東村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451204
最終更新日:2009-03-01




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