北谷村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。山本郡のうち。熊本藩領。村高は「旧高旧領」357石余。「肥後国誌」によれば正院手永に属し,下野村のうちとあり,高357石余,小村には石久保村・中宿村などがある。文政9年の手鑑(肥後国郷村明細帳1)でも同高で,反別は田10町4反余・畑16町6反余。氏神は日吉神社。境内に文化12年寄進の水磐などが残る。また旧村名の由来となったという天台宗長福寺は康平元年恵公の開山と伝える。境内には天文18年刻銘の大乗妙典奉納塔や万治2年建立の小堂が残る。なお同寺裏手の山中に新宮忠親の墓がある。忠親は菊池持朝の弟で,永享6年自害したと伝える。そばに同年8月11日の刻銘をもつ宝篋印塔の残欠があり,当村では毎年8月11日に忠親の供養を行ったという。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田14町1反余・畑24町9反余,戸数39・人数184,牛1・馬35,物産は穀類のほか甘藷・蘿蔔・西瓜・楮皮・薪など,民業は農業26戸・大工職2戸など。同22年山内村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451231
最終更新日:2009-03-01