ケータイ辞書JLogosロゴ 北種山村(近世)


熊本県>東陽村

 江戸期〜明治22年の村名。八代【やつしろ】郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」695石余,「正保郷帳」も同高でうち田499石余・畠196石余,「天保郷帳」700石余,「旧高旧領」1,135石余。「肥後国誌」では種山手永に属し,高1,129石余,小村に西原村・梅林村・大村・五反田村・口ノ上村・白谷村・椎谷村・地園村・指野村・中村・鬼丸村・畑中村がある。小村のうち白谷村までを川北,それ以下を川南という。はじめ当村内五反田村居住の豪族押方清右衛門以下3代が手永の惣庄屋となり,種山手永と称するようになった。幕末期の惣庄屋は五反田の豪農民門勝之允。幕府領五家荘巡見使の客屋は押方氏の所管であった。熊本県,八代県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治8年種山小学校北種山支校を五反田民門屋敷跡に設置。同11年同支校が独立し氷川小学校となり,同20年種山小学校に合併して南種山村淵ノ本に移転。西原は眼鏡橋の名工岩永三五郎・橋本勘五郎らの出身地。浄土真宗幸西寺は正保4年の開基で,文政元年に寺号免許を受け,明治12年白谷から差野に移転。同22年市制町村制施行による北種山村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451233
最終更新日:2009-03-01




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