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- 北村(中世)とは
「北村(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 北村(中世) 戦国期に見える村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 北村(中世) 鎌倉期~室町期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 北村(中世) 南北朝期~戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 北村(中世) 室町期に見える村名新川【にいかわ】郡堀江荘のうち貞治2年11月の室町幕府引付頭人奉書に祇園社領堀江荘地頭職内の村の一所としてみえている(八坂神社文書/県史中)祇園社御師法印顕詮の申状によれば,北村・小泉村・梅沢村などは神領であるにもかかわらず,伊丹勘解由左衛門尉・須田兵庫入道らが濫妨に及んでいるとある幕府は守護斯波義将に下地を顕詮の代官に渡すよう命じているしかしこの命令も十分な効果はなく,武士の対捍が続いていることは,年不明ながら幕府奉行人松田氏(貞秀か)に宛てた祇園社権少僧都顕深書状にうかがわれる(同前)建治元年の堀江荘南方内検取帳にいう南方をもって南村にあてる見解がある(白岩川中流域の歴史的事実)が,この南方に対する北方は西開発(下条開発)・狐塚・桜木の地とみるならば,北村もこの地域に求めることができ,現在の滑川【なめりかわ】市域にあたる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 北村(中世) 南北朝期に見える村名伊都【いと】郡天野社領六箇七郷のうち天野郷に属す延元2年5月25日の西道垣内畠売渡状に「売渡進 垣内畠新立券文事 合壱所者〈本号六十歩〉在六ケ郷内上天野字北村定妙房カ畠ノ上」と見え(飛見家文書/県史中世2),当村にあった沙弥西道相伝の畠地が銭5貫文で馬場末十念房に売り渡されているまた康正3年2月5日の平尼女畠地売渡状には「上天野字北之村」と見え,十念房の所有地となった当村の畠地が同じく銭5貫文で売り渡されている(同前)現在のかつらぎ町上天野の垣内名として北村が見える... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 北村(中世) 室町期から見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 北村(中世) 織豊期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 北村(中世) 南北朝期~戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 北村(中世) 織豊期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 北村(中世) 戦国期に見える村名海部【あま】郡賀太荘のうち天文6年正月吉日の賀太荘月別帳に「(賀太)本庄北村分」として66筆の田地が見え,おのおのに田数・所有者が記されている(向井家文書/県史中世2)現在の和歌山市のうちの加太・大川・深山【みやま】・日野・磯の浦付近に比定されるが,詳細は不明... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 北村(中世) 鎌倉期に見える村名備前国上道郡のうち正嘉元年の福岡荘吉井村畠目録案(東寺百合文書サ)に「北村内吉井村分」とあり,馬地・山方・富岡・神崎・居都などの村が記されており,合計18町1反20代であった現在の岡山市吉井付近と推定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」