ケータイ辞書JLogosロゴ 久具(中世)


熊本県>松橋町

 鎌倉期から見える地名。八代郡豊福荘のうち。当地は鎌倉末期には上・下に分かれており,元亨4年3月4日の沙弥法喜(竹崎季長)寄進状(秋岡氏所蔵文書/県史料中世4)に「御宮のしゆりようとう(修理用途)佰陸拾弐貫文・米陸拾柒石〈下久具用途〉」と見える。なお,嘉禎2年3月17日の大友親秀譲状(大友家文書録/鎌遺4945)に「豊福庄内久具十郎・同三郎領〈付焼米・小藤次名〉地頭職」と見え,久具十郎らは当地を名字の地とする在地領主と考えられる。また,織豊期〜江戸初期に成立したと推定される「予章記」によれば,弘安の役の戦功により,河野通有が「肥後国下久々村」など300町を拝領したという(群書21)。観応3年9月20日の平泰直譲状写(豊後田北文書/南遺3455)にも「同国とよふくの庄内くミ(ママ)の十郎三郎領〈つけたり〉やいこめのことうしか名 地頭職」と見える。下って「八代日記」永禄7年11月条に「七日ハ大雨ニテ,八日丁未ノ日御働也,大野・松橋及放火,頼房さま,しもくゝまで御光儀,くゝにて宗運に御参会」とある。下久具には享禄5年銘の板碑や天文19年銘の方錘形自然石などが残る久具廃寺がある。なお永正8年4月には久具川で豊福城にこもる相良長毎と宇土【うと】の名和重年の軍勢が衝突している(相良家文書/大日古5-1)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451323
最終更新日:2009-03-01




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