ケータイ辞書JLogosロゴ 鞍楠村(中世)


熊本県>竜北町

南北朝期に見える村名八代【やつしろ】郡八代荘のうち建武2年5月26日の後醍醐天皇綸旨(伯耆名和文書/南北朝遺260)に「肥後国八代庄地頭分内鞍楠村,寄進熊野那智山之由被聞食畢者」とあるのが初見名和長年の長子義高が元弘の恩賞として八代荘の地頭職に補任されたが,翌年熊野那智神社に当村を寄進している正平3年9月日の恵良惟澄軍忠状(阿蘇文書/大日古13‐1)には,「惟澄於笠松・鞍楠二箇所,取向城之刻」と見え,惟澄が当地に向城を築き,次いで大友孫次郎と小野荘で合戦を展開した南北朝期と推定される年月日未詳の肥後八代荘内道前郷田数目録(同前)には「一所 鞍楠村 三十五丁九段一丈中」とある「事蹟通考」に「鞍楠村今潰廃而合吉本村地名而已残矣」と見え,「肥後国誌」吉本村権現社の項には「鞍楠村始ハ本村ニテ,権現社ノ辺迄ハ皆鞍楠ノ内ナリシカ,後ニ吉本ノ名自然ト蔓リ,鞍楠ハ廃シテ吉本村ノ内ニタゝ名ノミ残レリ」とあり,江戸期の吉本村,現在の竜北町高塚に比定される
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451411
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ