栗木村(中世)
室町期に見える村名阿蘇郡のうち地名としては平安末期から見え,治承2年3月13日の阿蘇社宮師僧長慶譲状案(阿蘇文書/大日古13‐1)に「一所一丁一段〈南坂梨 栗木〉」とある下って貞和4年11月7日の肥後南坂梨郷屋敷得分注文案(同前)には「一所 くりのき しやうけふ」とあり,南坂梨郷に含まれていたまた,正平25年7月20日の阿蘇社領宮地四面内給主注文(同前)に「一,のしりの五郎三郎のあと」として「一所三反四丈〈くりのき,御まいてん〉」とあり,宮地四面のうちに含まれていた村名は室町期のものと推定される年月日未詳の阿蘇山用途未進分注文(西巌殿寺文書/県史料中世1)に見え,「一所,くりの木村五百五十,百なし候,四百五十未進」とある現在の一の宮町坂梨のうちと推定されるが,詳細は不明なお,現在一の宮町三野の小字に栗木がある
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451430
最終更新日:2009-03-01