ケータイ辞書JLogosロゴ 久連子村(近世)


熊本県>泉村

 江戸期〜明治22年の村名。八代【やつしろ】郡のうち。五家荘のうちの一村。はじめ熊本藩領,貞享2年からは幕府領。村高は,「天保郷帳」1石余,「旧高旧領」も同高。貞享5年の天草代官調書によれば,竈数31,家数51・人数218,鉄砲23,枝村に小谷村・待木平村・山岳村がある(肥後国誌)。天保8年の仁田尾村庄屋左座茂手木調書では戸数40・人数574(左座家文書)。当地は五家荘の中心地で,上の寺(願乗寺)・中の寺・下の寺(正覚寺)の3寺院がある。上の寺は寛永年間に創建され,のち昭和初期に廃寺となる。正覚寺のみ現存し,平家一族とされる位牌がある。柿迫村板木との間の須々毛川には,長さ8間・幅3尺,水面からの高さ7間の釣橋があり,危険な所であるが五家荘の人々は平地のように通り,その架替えは当村で行うという(肥後国五ケ荘図志/庶民史料9)。天草県,長崎府,長崎県,八代県,白川県を経て,明治6年熊本県に所属。明治初期当地に松原小学校を設立。同22年市制町村制施行による久連子村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451437
最終更新日:2009-03-01




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