ケータイ辞書JLogosロゴ 黒流町村(近世)


熊本県>阿蘇町

 江戸期〜明治22年の村名。阿蘇郡のうち。熊本藩領。村高は「旧高旧領」162石余。「肥後国誌」によれば,「黒流村」と見え,内牧手永に属し,石高は記されず「新地高也」とあり,「里俗ハ黒流町村と云歟」と書かれ,熊本から11里の里数木がある。寛永9年藩主細川忠利の父忠興が阿蘇谷を通過して入国した折,黒川左岸一帯の荒地を見て開墾を指摘したと伝え(阿部家文書),これにより黒川南岸一帯の開拓が進んだという。元治元年の内牧手永増補略手鑑によれば,新地高147石余,田畑反別17町余,竈数35・人数199(阿蘇町立図書館蔵文書)。鎮守社は隣村今町村と2か村で祀る今町神社。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同10年当村などを中心として起こった百姓一揆は阿蘇全郡に広がり,参加者8,886人・8,500余戸に及んだ(史料阿蘇2)。明治新政府の政策に対する不満と失望が,地租改正と新官僚に対する不信などとして爆発したもので,西南戦争の鎮静化とともに鎮圧された。明治22年山田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451449
最終更新日:2009-03-01




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