ケータイ辞書JLogosロゴ 袈裟尾村(近世)


熊本県>菊池市

 江戸期〜明治22年の村名。菊池郡のうち。熊本藩領。天正17年の検地帳(県立図書館蔵文書)では,高181石余うち田21石・畠160石余。村高は,「寛永郷帳」160石,「正保郷帳」も同高でうち田21石・畠139石,「天保郷帳」192石余,「旧高旧領」257石余。「肥後国誌」によれば深川手永に属し,高99石余。文化・文政年間の深川手永手鑑によれば,高199石余,請免は137石余,竈数64・人数292,駄馬72(肥後藩の農村構造)。深川手永会所は,享保末年から寛延年間に惣庄屋を勤めた平井嘉右衛門の代に深川村から当地に移った。村内を,迫間川に渠口を開く袈裟尾井手や神来井手(横田井手)が流れる。当村は馬産が盛んで,家数より多数の駄馬を飼い,隈府【わいふ】町に集散する物資を運び駄賃稼ぎをした。また文久2年の鞍岳観音祭りには村内の能馬17頭を華美にこしらえて参詣している。伝教大師の開基を伝える袈裟尾山北福寺は,はじめ永福寺と称したが,一時廃絶し,のち菊池武房が再興,同武光の時北福寺と改号したという。「肥後国誌」では真言宗寺院として載るが,「今僅カノ草庵トナル」とある。北福寺の隣に袈裟尾八幡宮があり,「肥後国誌」には七社大明神宮と見える。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治7年袈裟尾小学校開校。なお同校は同20年隈府小学校の支校となり,同23年高等菊池小学校の成立に伴い廃校となった。明治22年隈府町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451476
最終更新日:2009-03-01




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