ケータイ辞書JLogosロゴ 小市野村(近世)


熊本県>中央町

 江戸期〜明治22年の村名。下益城【しもましき】郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」153石余,「正保郷帳」も同高でうち田102石余・畠51石余,「天保郷帳」155石余,「旧高旧領」248石余。「肥後国誌」では中山手永に属し,高246石余,大明神社がある。地内の阿弥陀堂の近くに不敗の強豪力士で,負けた力士に毒殺されたという時津風の墓(享和元年建立)がある(町誌中央)。大明神社は阿蘇大明神の分霊を祀り,天正年間火災により焼失したと思われ,のちに再建されている(同前)。熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田12町7反余・畑15町3反余,戸数27・人数149,牛19・馬27,水車1,物産は米・甘藷・芋・薪など,民業は農業24戸・水車職1戸・大工職1戸・木挽職3戸・質屋1戸。同22年中山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451482
最終更新日:2009-03-01




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