ケータイ辞書JLogosロゴ 郷原村(近世)


熊本県>鹿央町

江戸期〜明治8年の村名はじめ玉名郡,明治3年からは山鹿郡のうち岩原川右岸の台地西端部に位置する熊本藩領村高は「旧高旧領」396石余「肥後国誌」によれば中富手永に属し,岩原村のうちとあり,高396石余また宝暦12年の田畑下名寄御帳(県立図書館蔵文書)では,田畑屋敷の合計反別34町9反余,ほかに1町1反余,高合計396石余文化11年の中富手永手鑑(肥後藩の経済構造)による家数46・人数175,馬37で,造酒屋2・出店1・麹本手1,鍛冶札所持1なども見える村内中央を豊前街道が走るが,「肥後国誌」によれば,浦山口の坂の上から比丘尼坂上までが難所のため正徳2年新道を開いたというなお同街道は参勤交代に利用されるなど交通量が多く,そのため安政4年には街道への出小屋設置願が当村から出されている(多田隈家文書)氏神は八幡宮で,慶安2年岩原村の八幡宮を勧請したと伝えるほかに観音堂もある熊本県を経て,明治5年白川県に所属同8年岩原村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451555
最終更新日:2009-03-01




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