ケータイ辞書JLogosロゴ 久家村(中世)


熊本県>一の宮町

南北朝期〜室町期に見える村名阿蘇郡東郷のうち古家・古閑とも書く建武3年3月11日の阿蘇社領郷村注文写(阿蘇文書/大日古13‐1)に権大宮司沙汰分の東郷の1つとして「一所四町 久家村」とあるのが初見至徳2年8月7日の阿蘇社領郷々注文(同前)には「一所こかのむら四町五〈九〉反〈なんかう御たいめせのちきやう,なかゝのたいせん二大夫ちきやう〉」とあり,当村の4町9反は南郷代官と「なか々」の代官の知行であった同4年8月日の肥後阿蘇郷村并宮地四面内天役注文(同前)には,村々の分として「一貫九百五十文 こかの弁」,四面のうちの分として「五十文 こかのむらはやまたちの弁」,御用作分として「三百文〈こかの分〉いゝた六反分弁」と見える下って室町期の応永9年卯月日の阿蘇社造営料木郷村支配注文案(同前)には「こかの分」として長押など料木15支が宛て課されている文安5年8月18日の阿蘇社造営木屋勤仕人数番定(同前)では当地は久家左衛門二郎の知行となっているなお室町期と推定される年月日未詳の肥後阿蘇荘郷々造営料木支配注文(同前)でも「こかの村分」として料木が宛て課されている下って文明4年8月25日の阿蘇山本堂造営棟別料足日記写(同前/大日古13‐2)では,「古家」は牛峰・荻迫・隈崎とともに2貫を進上している同16年8月28日の阿蘇十二社同霜宮最花米注文(同前/大日古13‐1)には「六御宮之分霜御宮同前」の1つに「一所こか〈ほんめ,とまり〉」とあり,最花米使の宿泊地となっていた下って天文6年6月18日の阿蘇社早乙女雇在所注文(同前)では「従古閑方一人」とあり,早乙女を1人出すことになっている同23年8月7日の阿蘇社造営料木郷々支配注文(同前)では「こか・ひろいし・たひも之分」として料木が宛て課されているなお応永30年5月26日の北坂梨惟照外二十九名連署起請文写(同前/大日古13‐2)に「久家百熊丸」が署名しているが,これは当村に関係のある人物と考えられる織豊期の天正17年8月28日の加藤清正判物(小代文書/県史料中世1)では,「一,四百七十八石四升 阿そ品村 古閑村」などが小代親泰に宛行われた現在の一の宮町三野のうちに比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451612
最終更新日:2009-03-01




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