ケータイ辞書JLogosロゴ 小曽部村(近世)


熊本県>不知火町

 江戸期〜明治22年の村名。宇土郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」772石余,「正保郷帳」も同高でうち田678石余・畠93石余,「天保郷帳」775石余,「旧高旧領」1,040石余。「肥後国誌」によれば松山手永に属し,高31石余,小村に造道村・辺田村などがある。氏神は八王社で,文明元年の建立と伝える。寺院は天台宗金剛院妙法寺。延久年間菊池則隆が建立,寛文3年に正円が再興したという(肥後国誌)。なお明治初年同寺で読み書きを教授していたという。熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田52町3反余・畑32町3反余,戸数72・人数358,馬57,物産は米・大豆・小豆・裸麦・粱・蕎麦・甘藷・蘿蔔・菜種,民業は農業73戸,西沖田溜池・南請溜池などを用水として利用した。同21年の戸数43・人口205(県公文類纂/県立図書館蔵文書)。同22年不知火村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451655
最終更新日:2009-03-01




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