ケータイ辞書JLogosロゴ 木葉村(近世)


熊本県>玉東町

 江戸期〜明治22年の村名。玉名郡のうち。熊本藩領。近世初頭の11月7日付の伊口意心書状(相良剛氏文書/西安寺の調査)は山北西安寺に宛てたもので,「木羽村之事,安楽寺山下甚八・拙者両人へ被仰付候,早速年貢納所候様」とあり,年貢納入が命じられている。村高は,「寛永郷帳」759石余,「正保郷帳」も同高でうち田578石余・畠180石余,「天保郷帳」824石余。「旧高旧領」では「木葉町」と見え763石余。江戸末期までに浦田村(郡村誌)と上木葉村を分村。江戸期の地内には町場の木葉町が成立し,江戸末期頃からは当村域全体を木葉町と称するようになったと思われる。「肥後国誌」では内田手永に属し,高305石余,「里俗木葉本村ト云」と見え,春日大明神宮・宇都宮大明神,浄土真宗西派正念寺・同宗同派徳成寺がある。正念寺は承応3年祐金の開基,徳成寺は明暦元年祐円の開基で寛文5年熊本の西光寺末寺,元禄8年熊本の延寿寺末寺に属し,のち再び西光寺末寺となったと記される。同書には,当村のうちとして木葉町が別記され,高428石余で,2枚立の高札があり,真言宗世尊寺跡が記される。同町では屋根瓦・瓶のほか,土で人形や猿などが作られ,煙管・竹杖なども製造されて名物となっていた。また同書は上木葉村を別記している。木葉山一帯では安政初年には石灰岩の採掘が行われていたという(玉東町歴史年表)。元文2年木葉町では大火で181軒を焼失し(同前),安政年間にも大火があった。宇都宮神社は養老7年の勧請といわれ,延文5年懐良親王が菊池武光に命じて宇都宮三河守隆房の霊を合祀してから同社名を号するようになったと伝える(郡村誌)。天保元年〜明治5年には星子格次による私塾で書道の教授が行われた(県教育史)。木葉町の喜三右衛門は熊本坪井の仁三次が有していた濁酒本手権利を文政12年から7年間借り受けて酒商売していたが,天保8年から10年間は熊本坪井の助次郎の権利を借り受けて商売を継続したい旨,許可を求める願書を出した(村上家文書/玉名高校蔵文書)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同10年の西南戦争では徳成寺に野戦病院が置かれ,同寺裏山に政府軍兵士を葬る高月官軍基地があるほか,地内には宇蘇官軍墓地などが散在する。戦後の同年に日本赤十字社の前身博愛社が当村土生野【はぶの】の肥田宅に設立された。明治5年横町の地に公立小学校開設。「郡村誌」によれば,田40町5反余・畑40町5反余,戸数193・人数891,牛2・馬45,車1,字横町に人民共立小学校があり,生徒数は男154・女58,物産は穀類のほか芋・甘藷・蘿蔔・柿・梅・銀杏・櫨実・楮皮・生糸・種子油など,民業は,農業42戸・大工職4戸・左官職2戸・桶具職2戸・染物職6戸・水車職1戸・鍛冶職3戸・造酒職3戸・質屋5戸・焼物職12戸・旅籠屋7戸など。同22年木葉村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451680
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ