ケータイ辞書JLogosロゴ 御領村(近世)


熊本県>合志町

 江戸期〜明治9年の村名。合志郡のうち。熊本藩領。近世初頭のものと思われる6月10日付の准如消息(巌照寺文書/県史料中世1)は,講中から銀子を請け取ったことを伝えたもので,六日講中に宛てられているが,このうちの1つに「御領村」と見える。慶長13年の検地帳(県立図書館蔵文書)によれば,反別は畠19町7反余,高86石余,屋敷の反別2反余で分米1石余,棟数8,人数は男6・女5,牛3。村高は,「寛永郷帳」769石余,「正保郷帳」も同高でうち田37石余・畠731石余,「天保郷帳」779石余。「旧高旧領」263石余。「肥後国誌」によれば竹迫【たかば】手永に属し,高261石余,小村に桜木がある。なお宝永年間頃には,星野甚之充・大野源之充・岡本権之進・長岡内膳の知行地があった。熊本県を経て,明治5年白川県に所属。同9年福原村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451734
最終更新日:2009-03-01




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