ケータイ辞書JLogosロゴ 才木村(近世)


熊本県>芦北町

江戸期〜明治8年の村名葦北郡のうち天月川と市野瀬川が合流する小盆地に立地熊本藩領村高は「旧高旧領」121石余寛永16年の芦北郡地侍御知行割帳(徳富家文書)に「西木村」と見え,当村の地侍として草野伝作・中山弥伝次・伊藤伝四郎・勝田助ノ丞・勝田伝ノ丞・勝田角助の名が見える手永は,はじめ市野瀬手永,寛永19年大野手永となり,寛文13年からは佐敷手永に属した「肥後国誌」でも佐敷手永に属し,高102石余,天神社・阿弥陀堂・才木城跡を記す才木城跡について,同書に「城主不分明,一説相良家臣安永兵部左衛門ト云」と見えるが,遺跡は判明しない当村は,「肥集録」(肥後国地誌集)では市野瀬村の,文化10年の佐敷手永村々高附帳(鹿子木家文書)では塩浸村の懸村となっており,同帳による高120石余・物成84石余熊本県,八代【やつしろ】県を経て,明治6年白川県に所属同8年天月村の一部となる現在の芦北町天月字前田・渡井口・中道の地
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451749
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ