ケータイ辞書JLogosロゴ 坂梨村(近世)


熊本県>一の宮町

 江戸期〜明治22年の村名。阿蘇郡のうち。熊本藩領。天正16年の参宮帳(東大史料編纂所謄写本/大分県史料25)には同19年5月5日の記事として「肥後あその宮坂なし村衆二人」と見え,当村の農民2名が伊勢参宮に赴いている。村高は,「寛永郷帳」1,166石余,「正保郷帳」も同高でうち田448石余・畠717石余,「天保郷帳」1,398石余。「旧高旧領」702石余。慶長6年10月14日の加藤清正所領充行目録(阿蘇文書/大日古13‐1)には当村のうち50石余が記され,地内の一部が神主又次郎に宛行われている。「肥後国誌」では坂梨村は2項あり,1つは高404石余で「里俗南坂梨村ト称ス」と記され,1つは高402石余とあり,ほかに「坂梨内村」高139石余,「坂梨町」高397石余が各々別に記されており,いずれも坂梨手永に属す。また同書によれば,坂梨町の項に「里俗坂梨町ト云ヘトモ郷村帳ニハ坂梨村と記ス」とあり,小村として馬場村・柿木村が見える。ほかに江戸期の小村に亀成・古閑・小岳・内・浄土寺・福岡・鶴・徳岳・寺・西・三森・杉薗・栗木がある(阿蘇の地名)。元禄年間以後古閑村・馬場村を分村したと思われ,「肥後国誌」に古閑村,「肥後国誌補遺」に馬場村が別記される。当地では幕末期から明治初期にかけて朝鮮人参の栽培で成功して財をなした話が現在も語られている。当村は豊後街道の要所で,坂梨会所・坂梨御茶屋・坂梨口女改番所・十三里木や街道で最も険しい滝室坂などがある。女改番所は阿蘇財津組から4人宛が勤め,特に女の出入りを改めた(肥後国誌)。坂梨東中町の地の観音堂に安置されている子安観音像は寛政4年木喰五行明満上人の作。坂梨中町の地の平保木川に架かる石橋は眼鏡橋で,石碑に「弘化四年丁未春吉辰,棟梁八代郡種山手永石工卯助」とある。寺院には坂梨城跡のふもとに小松内府重盛建立と伝える天台宗大山寺があり,ほかに曹洞宗円通寺・同宗浄土寺と慶長7年閏基の浄土真宗東派浄行寺がある(同前)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同年馬場村・古閑村を合併。同22年坂梨村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451778
最終更新日:2009-03-01




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