ケータイ辞書JLogosロゴ 崎津村(近世)


熊本県>河浦町

 江戸期〜明治22年の村名。天草郡のうち。大江組に属す。はじめ肥前唐津藩領,寛永15年富岡藩領,同18年幕府領,寛文4年再び富岡藩領,同11年からは幕府領。村高は,万治検地帳16石余(天草島鏡/天草郡史料1),「天保郷帳」28石余,「旧高旧領」も同高。なお万治検地による天草郡石高半減以前の高は,「正保郷帳」で154石余うち田58石余・畠11石余・桑塩竈網永荒84石余。「肥後国誌補遺」による竈数60・人数850。宝暦11年の村明細帳による家数は本百姓15・名子6・無高水呑漁師102。万延元年では233軒・1,321人。なお「天草島鏡」(天草郡史料1)によれば,天保4年の家数254・人数1,865,田が高21石余・反別3町6反余,畑が高6石余・反別1町4反余うち新田畑高11石余,ほかに「漁方稼有之 但舸子三拾壱人」と見える。正保2年漁業権設定と運上取立てのため定浦制が敷かれ,7か浦が定められたが,当村はその1つとなった。御用船に人を出す舸子(水主)役はこの時に定められた。当村は古くから港として栄え,永禄12年ルイス・デ・アルメイダが訪れ,キリスト教の布教活動を行ったのをはじめ,寛文9年には唐船の漂着に刺激され,通詞役人も置かれた。また享保2年からは,崎津湾口の突端に遠見番所も設置された。それ以前,延宝元年には山林の管理と運上取立てを行う山方番役人が置かれ,大江組・久玉組・壱町田組を管轄した。神社に,慶安4年信濃国上諏訪社を勧請した諏訪宮と八幡宮がある。寺院には壱町田村安養寺末直入寺があり,キリシタン転宗者を門徒とした。富岡県,天草県,長崎府,長崎県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同年の戸籍によると,戸数388うち農104・漁259・商1・医1など。明治6年徴兵令に反対する血税一揆が起こり,今富村・小島にも広がって,約400人が副戸長以下村吏宅を打ち壊したが,まもなく取締組の手で鎮圧された。なおキリスト教関係では,同12年にコール神父が来訪し,同16年にはフェリエ師が諏訪宮下に仮会堂を建て,同21年に教会堂が竣工した。同22年市制町村制施行による崎津村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451795
最終更新日:2009-03-01




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