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- 迫村(近世)とは
「迫村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 迫村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国速見【はやみ】郡八坂【やさか】荘のうち高山川とその支流溝井川のつくる三角地に位置する文禄4年前田玄以領,慶長元年杉原長房領,同4年中津(のち小倉)藩細川領,寛永9年木付(のち杵築)藩小笠原領,正保2年から同松平領元和8年の「小倉藩人畜改帳」では木付上庄に属し,長岡興長知行地村高105石余,家数26・人数36,牛7・馬2「正保郷帳」では上庄村のうち村高は「見稲簿」82石,「天保郷帳」「旧高旧領」132石余文久3年の田7町6反・畑6町,5歳以上の人数42(工藤家文書)山の東側に開けた村で,溝井川をはさんで山迫村と鴨川村がある用水は溜池を利用細川領時代森永手永,延宝7年八坂手永,文化元年八坂郷鴨川組に属した当村には村役人として弁差1人がいた主に米作と七島藺栽培を行う農間余業に七島表(畳表)を織った長福寺跡にあった十王像は荒平村のとどろきの淵に安置され,吉野朝期の作である明治4年大分県に所属同8年に鴨川組の5村と安岐郷鴨川村と合併して鴨川村となる現在の杵築市大字鴨川のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 迫村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 迫村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国大野郡野津院のうち野津川の中流域右岸,支流王子川の右岸域に位置する文禄3年福原直高領,慶長2年太田一吉領,同5年からは臼杵【うすき】藩稲葉領黍野【きびの】組に所属村高は慶長2年182石余,村位は上(野津院御検地帳)「正保郷帳」には見えず,中山村433石余のうちか「見稲簿」182石余,「天保郷帳」187石余,「旧高旧領」182石余鎮守は天神社・明神社明治4年大分県に所属同8年中山村・寺小路村・日当【ひなた】村と合併,宮原村となる現在の大野郡野津町大字宮原のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 迫村(近世) 江戸期~明治9年の村名下益城【しもましき】郡のうち緑川上流右岸に位置する熊本藩領村高は,「寛永郷帳」102石余,「正保郷帳」も同高でうち田10石余・畠92石余,「天保郷帳」104石余,「旧高旧領」168石余「肥後国誌」では砥用【ともち】手永に属し,高166石余,小村に筒野村が見え,天神社がある熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年畝野村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 迫村(近世) 江戸期~明治15年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 迫村(近世) 江戸期~明治初年の村名吉野郡のうち旭川流域に位置する小川村の枝郷幕府領村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに10石余明治初年には小川村に含まれていたと思われ,現在十津川村に通称地名迫【せ】が残る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」