ケータイ辞書JLogosロゴ 下芋生村(近世)


熊本県>鹿北町

江戸期〜明治8年の村名山鹿郡のうち芋生川上流域に位置する熊本藩領村高は,「寛永郷帳」374石余,「正保郷帳」も同高でうち田268石余・畠105石余,「天保郷帳」も同高,「旧高旧領」378石余慶長国絵図(永青文庫)には村名が見えるが,慶長4年・同9年の両検地帳(県立図書館蔵文書)では上芋生村とともに「芋生村」として把握されている「肥後国誌」にも芋生村とあり,山鹿手永に属し,高1,009石余うち当村分260石余,小村に今村・中村・才野村・宝蔵寺村・桑原村・河原谷村・西林村・鳥越村などがあるまた文政9年の山鹿手永書付(菊原家文書)では,上芋生村・下芋生村を合わせて家数248・人数1,079,馬159下芋生村と上芋生村の境界は明確ではないが,現字図で桑原の東字界の延長線をもって旧村界とみることができる「肥後国誌」に見える小村のうち,現字名に残る鳥越村・桑原村,また今村・中村は当村に属し,比定地不詳の西林村を除く残余は上芋生村に属すものと思われる鳥越には両村の氏神金凝神社があるまた三尾山の頂上には石祠があり,山麓の光健寺の僧常栄が雨乞をし,たびたび雨を降らせた所と伝える熊本県を経て,明治6年白川県に所属同8年芋生村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451966
最終更新日:2009-03-01




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