ケータイ辞書JLogosロゴ 下大多尾村(近世)


熊本県>新和町

江戸期の村名天草郡のうち本戸組大多尾村の枝村下太田尾村とも書く(肥後国誌補遺)大多尾村は南北15km・東西2kmと細長い地形のため,一村では統轄が困難で,地内字61のうち31を割いて枝村とした屏風山の懐に抱かれ,八代【やつしろ】海に面する枝村の位置が,大多尾村の南側だったことから,下大多尾村と称したはじめ肥前唐津藩領,寛永15年富岡藩領,同18年幕府領,寛文4年再び富岡藩領,同11年からは幕府領「正保郷帳」に村名が見え,高103石余うち田75石余・畠17石余・桑茶永荒10石余「天保郷帳」では大多尾村に含まれるなお「肥後国誌補遺」では,高48石余,竈数13・人数114氏神は十五社宮ほかに天満宮があり,周囲700mの惣津島には航海安全を祈願する八幡宮があるこの八幡宮は応神天皇を祀る
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7451985
最終更新日:2009-03-01




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