ケータイ辞書JLogosロゴ 下陣村(近世)


熊本県>益城町

 江戸期〜明治22年の村名。上益城郡のうち。下陳村とも書く。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」761石余,「正保郷帳」も同高でうち田350石余・畠410石余,「天保郷帳」773石余,「旧高旧領」1,002石余。「肥後国誌」では沼山津手永に属し,高987石余,小村に柿迫村・中尾村・川上村などが見える。文久年間〜明治初期には習字の寺子屋5か所があり,各々教師1,生徒は男15〜20人ほどであった(県教育史)。発見時期は不詳であるが,字金山から城山にまたがる城山銅山は江戸末期に小谷村の富豪富永喜左衛門が採掘し,のち細川家の経営に移り,明治期になって伊予の白石氏から大阪の藤田組に移管された。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治7年設立の下陳小学校の同11年の生徒数男12・女3(県教育史)。同校は同20年上陳の尋常上陳小学校に合併。「郡村誌」によれば,田46町6反余・畑77町6反余,戸数137・人数672,牛59・馬137,字小路に人民共立小学校があり,生徒数は男26・女5,物産は繭・米・野稲米・大豆・小豆・裸麦・小麦・粱・菜種・蕎麦・甘藷・芋・煙草・鎌・鍬・釘など,民業は農業112戸・鍛冶職1戸・木挽職2戸。同22年津森村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452030
最終更新日:2009-03-01




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