ケータイ辞書JLogosロゴ 下永野村(近世)


熊本県>菊鹿町

 江戸期〜明治22年の村名。山鹿郡のうち。熊本藩領。村高は,慶長9年の検地帳(県立図書館蔵文書)で451石余,「寛永郷帳」451石余,「正保郷帳」も同高でうち田409石余・畠42石余,「天保郷帳」451石余,「旧高旧領」440石余。「肥後国誌」によれば中村手永に属し,高440石,祠堂は天満宮・天神社2・薬師堂・弥陀堂。安政年間には米・粟・小麦・大豆・小豆・大角豆・蕎麦・唐芋・苧麻を作り,野菜は畑の畔などに栽培,村民のうち富裕の者は焼酎糟・油糟など買肥を使用した(中村手永稼穡調書/肥後藩の農業構造)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田38町8反余・畑21町4反余,戸数69・人数316,牛1・馬48,水車1,物産は穀類のほか甘藷・蘿蔔・楮皮・薪など,民業は農業59戸・桶職2戸・質屋2戸など。明治10年の農民一揆,いわゆる戸長征伐では,民費金支払の明細や用掛給料の半減などを要求し,戸長を尋問した。なお田代寛士の寺子屋が明治5年まであった。同22年の田畑60町2反余・宅地4町4反余,戸数67・人口340(県公文類纂/県立図書館蔵文書)。同年六郷村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452081
最終更新日:2009-03-01




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