ケータイ辞書JLogosロゴ 霜野(中世)


熊本県>鹿央町

 南北朝期から見える地名。山鹿郡のうち。正安4年11月11日の後伏見天皇綸旨(康平寺文書/肥後国誌)に「肥後国霜野荘康平寺」とあるが,同文書は検討の余地がある。ただし同村にあった霜野山延寿院(康平寺)は,康平年間の建立といわれ,平安後期〜鎌倉期の仏像を多く残し,二十八部衆のうち帝釈天像には正和元年10月日の院主禎久の彩色供養の墨書銘があり,字真堂浦には元亨2年に69歳で没した禎久のために建てられた如法経塔がある。地名の確実な初見は,正平13年5月日の山本荘大清水村田畠屋敷注進状(正観寺文書/県史料中世1)に見える上臼井又太郎分の畠地荒野の四至記載に「限西霜野堺」とあるもの。大清水と霜野は荒野を挟んで接していた。享徳3年8月日の安楽寺公文所下文(太宰府神社文書/九州荘園史料叢書1)に祭田楽の酒直所出荘の1つに下野御荘が見えるが,これが当地のことかは不明。「上井覚兼日記」天正10年12月18日条・同22日条によれば,天正10年11月から12月にかけて,島津義久の命で肥後に進出した島津義弘は,有馬晴信の請によって援軍を遣わした際,日比良(現菊水町)滞在の島津軍の移動地として当地を検討している(古記録)。なお当地には,永正年間内空閑基貞の築城とされる霜野城があり(国郡一統志),天正12年4月21日には島津軍に降ったことが知られる(上井覚兼日記/古記録)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452099
最終更新日:2009-03-01




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