ケータイ辞書JLogosロゴ 下野口村(近世)


熊本県>岱明町

江戸期〜明治7年の村名玉名郡のうち境川右岸,干拓平野の東方台地上に位置する野口村が上野口村・中野口村と当村に分村して成立熊本藩領村高は「旧高旧領」882石余寛永12年の地撫帳(県立図書館蔵文書)に村名が見える文化8年の坂下手永略反別手鑑帳(鹿子木家文書)によれば,田15町6反余・畑36町2反余天保15年の坂下手永略反別手鑑帳(多田隈文書)によると,竈数80・人数580,馬63宝暦年間藩主の命で桑を植え,以後養蚕が盛んとなる同年頃の知行人は田辺氏ほか8人(草村家文書/岱明町地方史)「肥後国誌」では坂下手永に属し,高880石余,小村に原村・塚原村などが見え,天神宮2・天神森・浄土真宗西派正福寺・阿弥陀堂2・地蔵堂を記す正福寺では幕末に寺子屋を開き,子弟は50人を数えた(同前)熊本県を経て,明治5年白川県に所属同7年野口村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452102
最終更新日:2009-03-01




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