ケータイ辞書JLogosロゴ 下久井原村(近世)


熊本県>菊水町

江戸期〜明治9年の村名玉名郡のうち菊池川の支流久井原川中流域に位置する高野横穴群がある江戸末期までに久井原村から分村して成立熊本藩領村高は「旧高旧領」332石余なお,慶長13年の検地帳(県立図書館蔵文書)があり,田の反別12町余・分米149石余,畠の反別8町4反余・分米58石「肥後国誌」では内田手永に属し,高318石余,地内に禅宗永泉寺跡があり,氏神は阿蘇二宮大明神宮で長寛2年山本延重の勧請とも同3年菊池隆直の勧請ともいう集落は現県道竈門菰田山鹿線から高野あたりに立地し,同所の高野寺跡に卒塔婆がある安田の永泉寺跡の榎や藤の古木の下に堂があり,木像を安置し,同所にも卒塔婆がある高野は蚕屋とも書かれ,養蚕が盛んであったことから地名になったと伝える熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年久井原村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452112
最終更新日:2009-03-01




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