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「職人町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

職人町(近世)


江戸期~明治12年の町名江戸期は熊本城下坪井新坪井町懸の一町加藤清正が城下町建設の時,往時の国府,飽田【あきた】郡二本木から,商工業者を城の北東部の坪井にも移転...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7452208]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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職人町(近世)

江戸期の広域町名宮津城下六町組の1組元禄16年の御城下絵図によると,町筋は万町境から切戸橋綿屋甚右衛門家・切戸橋までの合計南北336間余にわたる京街道は幅4間,町組の構成は,寛文初年は職人町・切戸町・大久保町・松原町・木ノ辺町,元禄16年は職人町・紺屋町・田町・松原町・大久保町・木ノ辺町・京街道町(地方秘鑑・京極丹後守様御上地町地子並ニ家別・御城下絵図)家数は,元禄16年207軒,寛保4年261軒(1,579人),宝暦年間211軒余貞享元年に質屋が3人おり,同3年の年寄苦労米は2石9斗余であった天和2年に当町の住民は御用金20両を藩へ上納した元禄4年に本町組の松原町と切戸町が当町に組み替えをした(宮津日記)文久2年正月宮本町と改称

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

職人町(近世)
江戸期の町名熊本城下新町のうち藩が城下町統治のため置いた懸の1つで,上職人町・中職人町・下職人町からなるただし「官職制度考」では,職人町懸は2町としている同書によれば,各懸には2~6人の別当役と,別当役の事務を補佐する肝煎・物書が置かれて,属下の各町人町を管掌し,また各町には,五人組ごとの組頭と,それを束ねる町頭が置かれていた享和元年の御府中小路町々并産物等之名(県立図書館蔵文書)によれば,職人町の商売と扱う品について,扇子屋,蒸菓子・饅頭・羊羮・瞳餅・芥子板など,見吉屋,徳宝丸,白金屋,金銀銅之細工・鍔打,鞘師・塗師,蒔絵師,表具師,能師,畳屋,飾屋,鉄砲屋,吾妻団子と見える...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

職人町(近世)
 江戸期~明治22年の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

職人町(近世)
江戸期の町名福江城下の1町五島藩主盛利が家臣の城下集住を実施したいわゆる「福江直り」は寛永11年に完了したといわれるが,その際に成立した町人町の1つ福江城下は中心に武家屋敷と商家を配し,福江川を挟んだ外側に職人町を作り,大工・左官・鍛冶屋・銀屋などの職人200戸を居住させた町内を大工町・銀屋町・鍛冶屋町・紺屋町などに分けて呼ぶこともあった寛永11年には大工町に武家屋敷が2戸あった(県史藩政編)明治初年には福江村大荒郷の一部になったただし,以後も通称として職人町の名は残る現在の福江市大荒町の一部にあたる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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