- JLogos検索辞書>
- 陣内村(近世)とは
「陣内村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 陣内村(近世) 江戸期~明治9年の村名筑後国竹野郡のうち「元禄国絵図」では陳内村と記す耳納【みのう】山地中央部の北麓,巨瀬【こせ】川右岸の微高地上に位置するはじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領宝永7年・寛保3年には小川甚平が50石を知行(所付扣・給知高帳)諏訪組に属す村高は,「元禄国絵図」76石余,「在方諸覚書」の古高60石,「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに78石余宝暦年間頃の役高は161石,庄屋は樋口村庄屋が兼任,久留米より5里(在方諸覚書)寛政元年撫6斗5升,免率6ツ成,人数59,馬4(筑後上三郡取調手鑑)嘉永元年頃の作柄は,「凡そ田方5俵半,粟5俵」(廻村書留)文化4年の耕地は田7町余・畑田2町余(農政農民史料集)文化年間に流行病で多くの子供たちが死亡し,村落貧窮の一因となった阿弥陀堂がある(寛延記)明治9年鷹取村の一部となる現在の田主丸町鷹取の一部にあたる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 陣内村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」