ケータイ辞書JLogosロゴ 新町(近世)


熊本県>菊陽町

江戸期〜明治9年の町名合志【こうし】郡のうち阿蘇立野火口瀬の西方,白川中流右岸の北方,白川河岸段丘の中央に位置する慶長年間加藤清正入国後,参勤道路として開かれた豊後街道のうち熊本から大津までの通称大津街道の三里木〜四里木間の道沿いに集落が形成された当地は周囲より低いため排水が悪く,しばしば浸水し,樹木も作物も枯死するというところから枯木とも,枯木新町とも称したという寛永年間馬場村・中尾村などとともに仕立てられた村で(熊本藩年表稿),江戸末期までに上津久礼村から分村して成立熊本藩領村高は「旧高旧領」146石余「肥後国誌」では,上津久礼村のうちと見え,大津手永に属し,「里俗枯木町ト云」とあり,146石余は新地高とし,藩主細川忠利の命により寛永11年鍬初め,同16年に竣工,熊本へ4里,大津へ1里で,町の長さは東西4町25間と記す宝暦12年の田畑下名寄帳(県立図書館蔵文書)によれば田畑新地29町1反余,146石余,野開20町4反余,反別49町6反余,同13年の新町地子御免屋敷畑地引合改見図帳(同前)によれば,1〜93番まで居屋敷総反別4町6反余寛政7年の大津手永略手鑑(肥後藩の農村構造)によれば,庄屋三島六七,高は宝暦12年の下名寄帳に同じで,村立新地の反別は田3町4反余・畑25町7反余,人数391,馬35,社1(大原阿蘇神社),寺院は浄土真宗聞光寺,郡代直触地士1人,同無苗2人,商札54枚・造酒本手2本・揚酒本手1本・質屋札3枚・船1艘・綿弓本手5張・椛本手2本・藍瓶7本・馬口労札1枚・在馬医1人・鍛冶職1人・大工1人が認められていた地内に4枚掛りの高札場があった熊本県を経て,明治5年白川県に所属同9年原水村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452306
最終更新日:2009-03-01




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