ケータイ辞書JLogosロゴ 栖本(中世)


熊本県>栖本町

 戦国期に見える地名。天草郡のうち。明応10年7月中旬頃と推定される天草一揆談合覚書(志岐文書/県史料中世4)に「愚領牟田に於て御一揆中御参会時分」とあり,「栖本より八名代鏡殿」が参会している。下って,栖本氏と上津浦氏との争いについて,「八代日記」天文13年2月2日条に「上津浦親類中,棚底下城」,同年同月4日条に「上津浦親類中,上津浦城下城」とあり,栖本氏が優勢となり,同年11月には栖本氏は官途を所望し,兵部大輔となったが,その後も争いは続いた。同書弘治2年6月29日条に「栖本ヨリ上津浦堺へ打出候,上津浦ヨリ出合候,合戦候て栖本衆十八人打取候,クサツミト云所歟」,同年7月4日条に「上津浦ヨリ栖本ノウラウラ破候」,また同年10月7日条に「天草殿・栖本殿和与」とあり,当時天草氏を含めて上津浦氏と栖本氏が争っていたことがわかる。なお,弘治3年7月9日条には「栖本トマリ」と見える。さらに永禄8年9月13日条には「上津浦ヨリ,栖本之内河内ト云所ニ働候而八人打取,手火矢二ツ,兵具五十斗(計),如上津浦取候」とあり,河内が栖本のうちに含まれていたことがわかる。江戸期には村名としては見えないが,天草郡の組名となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452370
最終更新日:2009-03-01




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