- JLogos検索辞書>
- 勢井村(近世)とは
「勢井村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
勢井村(近世) 江戸期~明治9年の村名下益城【しもましき】郡のうち緑川上流右岸,烏山の南麓に位置する熊本藩領村高は,「寛永郷帳」123石余,「正保郷帳」も同高でうち田21石余・畠101石余,「天保郷帳」126石余,「旧高旧領」201石余「肥後国誌」では砥用【ともち】手永に属し,高201石余,小村に北ノ園村・畑中村・市ノ原村がある村の西に阿蘇十二座を祀る勢井神社がある長禄4年阿蘇家の勧請で大辻原の地に鎮座し,天正年間小西行長の兵火にかかり社殿・記録などを焼失,その後現在地に社殿を造営したという境内に若宮神社と天満宮2が祀られる熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属明治7年民家を利用して勢井小学校を石原に創立同8年の同校増築は神社の舞台を移転利用したもので,天井には役者の名前などが書かれていたという同9年大井早村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」