ケータイ辞書JLogosロゴ 清源寺村(近世)


熊本県>長洲町

 江戸期〜明治22年の村名。玉名郡のうち。江戸末期までに腹赤村から分村して成立したと思われる。熊本藩領。村高は「旧高旧領」620石余。「肥後国誌」では荒尾手永に属し,高516石余,地内に遠見番所がある。文政7年の荒尾手永手鑑(山本家文書)によれば,家数196・人数865,商札8,廻船6,造酒屋2・酒小売商2,馬72。幕末の荒尾手永手鑑(関家文書)によると,高516石余,反別79町8反余。氏神は清源寺天満宮(清源寺菅原神社)で,勧請年月は不明。浄土真宗本願寺派立徳寺は寛文年間に建立され,阿弥陀如来を本尊とする。なお南北朝期に南朝方の菊池氏の勢力下にあった大野氏が氏寺として清源寺を建立したと伝え,北朝の勢力の進展に伴い同寺も高瀬に移ったという。同宗同派の正福寺は慶長年間の開基で清源寺の寺跡に建立されたといい,阿弥陀如来を本尊とする。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同年平原村を合併。「郡村誌」によれば,田21町4反余・畑40町8反余,新地田39町4反余・新地畑42町5反余,新地塩田22町1反余,戸数271・人数1,489,馬116,日本形船4,人民共立小学校が字馬場にあり,生徒数は男74・女26,物産は米・大豆・小豆・裸麦・粱・鎌・鍬・清酒・塩などや魚介類,民業は農業152戸・大工職3戸・鍛冶職2戸・塩焼職100戸・造酒職1戸など,ほかに清源寺新地を記す。同22年腹赤村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452381
最終更新日:2009-03-01




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