ケータイ辞書JLogosロゴ 染土村(近世)


熊本県>菊池市

江戸期〜明治9年の村名菊池郡のうち添土とも書く菊池川の支流迫間【はざま】川の中流域の山間地に位置する南部の高台に鷹取城(染土城)跡があり,菊池則隆が下向の時に当地に居住したといい,一説には源為朝の城跡とも伝える永徳元年9月日の深堀時弘軍忠状(深堀文書/県史料中世5)によれば,6月22日今川了俊は隈府本城を陥落させ,翌日「菊池浦染土城」を攻撃しているその後,原田五郎が城主となり代々の居城となるが,戦国期には隈部親永が築城したという(古城考/肥後文献叢書1)熊本藩領天正17年の検地帳では,高26石余うち田16石余・畠9石余(県立図書館蔵文書)村高は,「寛永郷帳」25石余,「正保郷帳」も同高でうち田16石余・畠9石余,「天保郷帳」26石余,「旧高旧領」も26石余「肥後国誌」によれば深川手永に属し,高26石余また文化・文政年間の深川手永手鑑によれば,高26石余,請免は14石余,竈数14・人数55,牛8・駄馬13(肥後藩の農村構造)良質米を生産した(菊池風土記)集落の東端に染土菅原神社がある「国郡一統志」に天神森,「菊池風土記」に天満宮と見える「肥後国誌」には阿蘇大明神宮とあるが,これは天満宮の誤記と思われる熊本県を経て,明治5年白川県に所属同9年竜門村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452432
最終更新日:2009-03-01




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