ケータイ辞書JLogosロゴ 平村(近世)


熊本県>旭志村

 江戸期〜明治9年の村名。合志郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」274石余,「正保郷帳」も同高でうち田137石余・畠137石余,「天保郷帳」274石余。「旧高旧領」258石余。慶長9年の検地帳(県立図書館蔵文書)によると,高274石余うち田137石余・畠137石余,反別は田10町余・畠8町余。同13年の検地帳(同前)では,高258石余うち田113石余・畠144石余。寛永10年の人畜改帳によれば,家数37・人数58うち男35・女23,牛11・馬9。宝暦8年の給知田畑引合改見図帳(同前)によると,高258石余,反別35町余。同書に36名の連署があり,庄屋は弥平次と記される。「肥後国誌」では大津手永に属し,高258石余,当村の湯山には,昔,温泉があって百病を治したといい,地内には真言宗善光寺跡がある。善光寺は大同元年坂上田村麻呂が筑後国清水寺建立時に夢に感じて建立したとの伝承があり,本尊薬師仏は行基作と伝える。また文治2年源頼朝の代参として梶原景時が来て太刀一腰に砂金を添えて寄附し,長徳2年には九州探題藤原氏広が両親の菩提を祈って石碑を建てたと伝える。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同年麓村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452447
最終更新日:2009-03-01




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