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- 高瀬(中世)とは
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高瀬(中世) 戦国期にみえる地名高勢とも書く出雲国出東【しゆつとう】郡のうち尼子方米原氏の拠城があって毛利軍と戦闘を交えたところ永禄5年7月29日付「宍戸隆家巻数并供米返事」(厳島野坂文書/広島県史古代中世資料編Ⅱ)に「高瀬動漸相調候」とみえるのが初見「広島県史」では旧神門【かんと】郡高瀬山(現出雲市内)に比定されているが,「旧県史7」の指摘するように旧出雲郡庄原村(現簸川【ひかわ】郡斐川【ひかわ】町)の地に比定すべきであろう元亀元年11月23日付「毛利輝元書状」(萩閥109)に「去十四日従新山以舟手高瀬江兵糧差籠候」とあり,高瀬が宍道【しんじ】湖に接していたことが知られ,また年月日未詳「稲田因幡秀周墓石碑銘写」(鰐淵寺文書の研究)に「永禄年中,当国出雲郡(出東郡)高瀬一乱之刻,近郷寺社破為兵火焼也」とあって,高瀬が出雲【しゆつとう】郡(出雲【いずも】郡の後身)に属していたことが明らかだからである年月日未詳「吉川広家領地付立」(吉川家文書/大日古9)には「五拾貫 高勢ノ山下うやかんは 安房守給」とある |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
高瀬(中世) 南北朝期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
高瀬(中世) 鎌倉期~戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」