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「高田郷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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高田郷(中世) 室町期~戦国期に見える郷名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
高田郷(中世) 平安末期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
高田郷(中世) 戦国期に見える郷名伊那郡のうち大永4年の諏訪造宮日記に「高田之分 正物二石四升,御ほこの本一斗,しき籾二斗五升,針代三十二文,米六升,大豆六升,草九そく,朝夕十八束,人数不定候,請取状如件」と記され,また「一,高田二十一俵,代一貫六百文」を受取った旨が記されている(信叢2),「神使御頭之日記」天文11年条に「宮付 〈中沢〉高田〈寄子ハ栗林殿・高明寺殿・佐越殿,御符礼何も同前,御かゝみ一膳,寄子は一貫つゝ〉」とあり(同前14),「御頭役請執帳」によれば,元亀3年3月13日の二之頭役を「〈高遠之〉高田之郷」が勤めた(信史13)天正6年2月12日武田勝頼は信濃の諸郷に諏訪上官7年に一度の修理を命じているが,その中に「高田分」とあり(矢島文書/信史14),同年の上諏訪造宮清書帳に「一,磯並御宝殿 中伊那之内塩田 取手権祝……高田分 合三貫八百文 代官高見新左衛門尉」,翌7年の同取帳に「高田之郷 正物八百文 代官湯西十郎左衛門尉」とある(信叢2)天正10年7月6日の飯島傑叟等連署起請文案の中沢衆の中に「高田甚蔵」「高田与一郎」の名が見える(恵林寺文書/信史15)塩田川の南岸,現在の駒ケ根市東伊那(江戸期の栗林村)に高田氏の居城と伝える高田城がある郷域はこの付近に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
高田郷(中世) 南北朝期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
高田郷(中世) 鎌倉期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
高田郷(中世) 鎌倉期~南北朝期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
高田郷(中世) 鎌倉期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
高田郷(中世) 鎌倉期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
高田郷(中世) 南北朝期から見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」