ケータイ辞書JLogosロゴ 高野瀬村(近世)


熊本県>菊池市

江戸期〜明治9年の村名菊池郡のうち舌状の丘陵城山が平野部に突き出るあたり,その南西麓一帯に位置する城山に円墳があり,その東麓に築地横穴群がある文明4年菊池重朝は隈部忠直とともに孔子堂を創建,孔子とその門人十哲の像を安置したというその後,臨済宗の学僧桂庵玄樹を迎え,朱子学も講じたが,江戸期には廃跡となり,現在は老人福祉センター内に孔子堂跡の碑がたつ熊本藩領天正17年の検地帳(県立図書館蔵文書)では,高164石余うち田27石余・畠137石余慶長9年の検地帳(同前)によれば,田の反別2町4反余・分米26石余,畠・居屋敷の反別21町4反余・分米165石余(同前)その後の村高は,「寛永郷帳」191石余,「正保郷帳」も同高でうち田26石余・畠165石余,「天保郷帳」199石余,「旧高旧領」157石余「肥後国誌」によれば深川手永に属し,高144石余文化・文政年間の深川手永手鑑によれば,高144石余,請免は87石余,竈数27・人数125,駒2,駄馬18(肥後藩の農村構造)弘化5年深川手永惣人別が6交替で出夫し,8日で掘った堤がある(島屋日記/菊池市教育委員会蔵文書)現県立菊池高校正門前に松囃子能場がある松囃子能は正平3年菊池武光が征西将軍宮懐良親王を菊池山城に迎えて以来,天下泰平を祈願して,毎年正月2日隈府【わいふ】座中が勤めたという「菊池風土記」によれば,菊池家断絶後も隈府の神事として御仮屋を建てて神酒を捧げた幾多の曲析があったが,現在の能場は寛政8年の建設といわれ(新編菊池郡誌),町奉行や代々の惣庄屋が観覧する桟敷が設けられていた寺院に浄土真宗西派西光寺があり,慶長4年了祐の開基という(肥後国誌)貞享4年には観音堂が再建されているまた曹洞宗蔵六庵があり,明和元年玉祥寺住太清が創立境内に宝暦9年のすすき塚(施主宗伝次),五輪塔残欠がある明治3年菊池神社が創建された熊本県,白川県を経て,同9年熊本県に所属同年隈府町の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452500
最終更新日:2009-03-01




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