ケータイ辞書JLogosロゴ 竹迫(近代)


熊本県>合志町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ合志村,昭和41年からは合志町の大字。明治24年の戸数190,人口は男444・女439。近代に入り植木往還・県道辛川鹿本線・同住吉熊本線の拡幅工事が進んで商圏は拡大したが,明治末期までなお江戸期の在町の繁栄を保った。大正初期に菊池軌道(のち熊本電鉄)が敷設されて急速に客足は衰え,商家は凋落した。一時全盛を誇った芝居の竹迫座,名菓の山芋入り竹迫へそ菓子・ごぼう菓子も,大正末期にはその姿を消した。昭和40年頃から阿蘇外輪山の伏流水利用のボーリングによる開田が進み,農地基盤整備が進捗した。酪農も起こり,ハウス園芸も盛んになった。明治期以来の幹線県道が竹迫下町に集まり,熊本電鉄バスの植木線は辻久保経由熊本へ,県道辛川鹿本線は三里木経由熊本へ,熊本から県道住吉熊本線を走ってきたバスは竹迫上町より矢護川線へ転じ,大津町杉水まで延長された。通勤時のラッシュは交通渋滞をきたし,現在竹迫バイパスを建設中である。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452503
最終更新日:2009-03-01




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