ケータイ辞書JLogosロゴ 多久村(近世)


熊本県>鹿北町

 江戸期〜明治22年の村名。山鹿郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」794石余,「正保郷帳」も同高でうち田596石余・畠197石余,「天保郷帳」811石余。「旧高旧領」287石余。なお天正検地帳の写と思われる慶長9年9月付の検地帳(県立図書館蔵文書)によれば,反別は田46町9反余・畠28町1反余・屋敷5町5反余(43筆)で,分米合計794石余とある。「肥後国誌」によれば中村手永に属し,多久村のうちとして茂田井村・椎持村・星原村・威村,小村に本多久村・竹尾村・荒平村・金原村・田中村・カイセ(皆瀬)村・原村などを記し,高276石余とある。このうち椎持村のみは高が付され,「旧高旧領」に村名が見える。原村については「高木熊太日記」の慶応2年2月の項に52軒焼失という記事が見える。また星原村は上質の茶の産地で,毎年御前茶として藩主に献上した。天草・八代【やつしろ】方面からも茶摘み人夫が来村した。明治初年同村は椎持村の一部となった。宝暦2年の中村手永御蔵納手鑑(肥後藩の農業構造)による家数167・人数918,牛馬63,猪鹿打鉄砲札所持者10・売松馬札所持者4・売松歩札所持者2・鋳物炭焼札所持者1も見える。なお同帳には,当村の枝村として矢谷村が見える。寺院は浄土真宗永正寺。正保3年開基とも,慶長9年の開基で正保3年本堂落成ともいう。神社は多久神社。久安元年に多久の領主喜沢某が阿蘇四宮を勧請したと伝える。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田57町4反余・畑15町4反余,戸数210・人数985,牛馬136,水車2,字中原に人民共立小学校があり,生徒数は男41・女12,物産は穀類のほか蒟蒻・楮皮・清酒・茶など,民業は農業175戸・大工職5戸・桶職2戸・水車職2戸・杣職4戸など。同22年岳間村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452558
最終更新日:2009-03-01




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