ケータイ辞書JLogosロゴ 立石村(近世)


熊本県>菊池市

江戸期〜明治9年の村名菊池郡のうち菊池川の支流迫間【はざま】川中流左岸の平坦地に位置する集落の東端に弥生時代の土器が散布する立石遺跡があるまた地内の古町については,「菊池風土記」に「今隈府切明町口より西の大道を云,此所菊池始祖菊の城に居ます時分より天正十六年迄の町」とあり,西覚寺付近が中心で大手門があったと伝える熊本藩領慶長9年の検地帳(県立図書館蔵文書)では居屋敷高19石余と見える「寛永郷帳」では村高19石余,「正保郷帳」も同高ですべて畠方,「天保郷帳」24石余,「旧高旧領」37石余「肥後国誌」によれば深川手永に属し,高26石余文化・文政年間の深川手永手鑑によれば,高26石余,出高新地10石余,請免は18石余,竈数4,人数と牛馬数は以前から大琳寺村へ合算とある(肥後藩の農村構造)村内には宝暦初年頃から郡代衆の逗留する御用宅があったのち隈府【わいふ】町へ移転寺院に浄土真宗本願寺派立石山西覚寺がある「菊池風土記」には,豊後国大塚村を領した高知穂惟世が蓮如に帰依し,法名を了善とし,明応5年同寺を建立したとある「肥後国誌」には天文年間の開基で,寛文元年寺号を許されたとあるなお安永〜天明年間に西覚寺下の地蔵の背後で盛んに芝居興行が打たれた(島屋日記/菊池市教育委員会蔵文書)神社には西古町立石神社がある熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年隈府町の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452636
最終更新日:2009-03-01




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