ケータイ辞書JLogosロゴ 種山村(中世)


熊本県>東陽村

 南北朝期に見える村名。八代【やつしろ】郡八代荘のうち。地名の初見は正平3年9月日の恵良惟澄軍忠状(阿蘇文書/大日古13‐1)で「其後御敵忍取種山黒駮城之間,此所御方要害後山也」とあり,当地の黒駮城が北朝方の少弐頼尚に攻略されている。村名としては南北朝期と推定される年月日未詳の肥後八代荘内道前郷田数目録(同前)に「一所 種山村 二十一丁八段四丈」とあるのが初見。下って「八代日記」天文10年4月2日条に「長唯様立神御社参候,其ヨリ種山ニ御光義,代続の祝御申候」とある。同書永禄2年7月26日条には「宇土ヨリ動,宮原まて放火,人数今村まて来り候,種山人衆峰薬師ニスハリ候,八代馬衆高神ニ打出候」とあり,当地の在地武士が相良氏への軍役として「衆」に編成されていたことがわかる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452661
最終更新日:2009-03-01




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