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- 田原村(中世)とは
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田原村(中世) 南北朝期~戦国期に見える村名相模国淘綾【ゆるき】郡のうち田原郷とも称した観応元年8月20日の小山秀親所領譲状(小山文書/県史資3上‐4044)に「譲与 所領等事……相模国田原村地頭職事」と見え,当村が小山秀親の所領であったことが知られるその後,応永7年6月12日の関東管領上杉朝宗施行状(相文/同前5263)によると,「大山寺護摩堂造営料所相模国蓑毛・田原両郷事」とあり,室町期には当郷は北方に位置する蓑毛郷とともに大山寺護摩堂の造営料所となった戦国期になると,小田原北条氏と豊臣秀吉との対決へと進んでいく過程において,小田原北条氏は臨戦体制を整え,天正14年と推定される丙戌の10月1日の北条家朱印状(小田原市立図書館所蔵文書/県史資3下‐9210)が「田原番匠 惣左衛門」宛に発給されており,「御座敷作事之御用」のため小田原へ参向するよう命じているまた秀吉の行った敵状調査の一端を示す関東八州諸城覚書(毛利文書/同前9771)に「関東八州城之覚……一,田原之城 大藤長門守 五十キ」とあり,当地には大藤長門守を城主とする小田原城の支城があったことが知られるなお江戸期には,東田原村・西田原村とに分かれるが,入会関係文書などでは両村を合わせて田原村と称することもあり,「天保郷帳」には田原村として村高1,213石余が見える現在の秦野【はだの】市東田原・西田原を中心とするあたり |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
田原村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
田原村(中世) 戦国期に見る村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
田原村(中世) 南北朝期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
田原村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」