千田村(近代)
明治22年〜昭和30年の自治体名。はじめ山鹿郡,明治29年からは鹿本郡に所属。千田・持松・広の3か村が合併して成立。旧村名を継承した3大字を編成。役場を広に設置。明治24年の戸数658,人口は男1,649・女1,685。当村には千田尋常小学校と広尋常小学校の2校があったが,高等科併設を機に大正3年に統合,同6年校舎落成,千田大河原尋常高等小学校を経て同10年千田尋常高等小学校となる。大正7年認可を得て,この小学校に千田農業補習学校を併設。同10年の生徒数は男61・女34。世帯数・人口は,大正9年583・3,071,昭和10年574・3,128,同25年704・3,931。同30年鹿央村の一部となり,3大字は同村の大字に継承。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452747
最終更新日:2009-03-01