ケータイ辞書JLogosロゴ 築地村(近世)


熊本県>菊池市

江戸期〜明治9年の村名菊池郡のうち菊池川は急崖をつくって菊池平野へ流入し,扇状地を形成するが,その要の位置に立地地内から弥生時代の甕棺が出土し,また阿蘇溶岩の崖壁には古墳時代の横穴が70以上も見られる熊本藩領天正17年の検地帳(県立図書館蔵文書)では,高41石余うち田32石余・畠9石余村高は,「寛永郷帳」41石余,「正保郷帳」も同高でうち田32石余・畠9石余,「天保郷帳」43石余,「旧高旧領」47石余「肥後国誌」によれば河原手永に属し,高45石余文化・文政年間の河原手永手鑑によれば,高45石余,請免は22石余,竈数15・人数48,牛1,駄馬10(肥後藩の農村構造)なお慶長11年11月8日の加藤清正黒印状(男成文書/県史料中世3)が残り,築地村・藤田村合計270石余を窪田竹蔵へ宛行っている慶長10年清正が築造した築地井手が上簗で菊池川から分水され,村内を貫流する上簗は菊池川右岸と中州に石垣を築いて水を簗に導き,中州には簗小屋が作られ,桶・鍋・釜・田子・たらい・籠・すり鉢など20品が用意されていた明和7年八並勝右衛門が菊池川筋の簗懸を郡代から許され,以降簗については請負形式がとられた模様で,年々藩主へとれた香魚を献上したしかし不漁の時もあり,宝暦11年には小鮎取りが差止めとなっている熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年亘村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7452773
最終更新日:2009-03-01




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