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- 津留村(中世)とは
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![]() | 津留村(中世) 南北朝期~戦国期に見える村名筑後国山門【やまと】郡のうち建武3年5月日付の青方高直軍忠状案に,菊池武敏等宮方との合戦地として「筑後□(国)鳥飼・津留并北野原二ケ所」が見える(青方文書/纂集)また,同4年7月日付の青方高直目安状案にも,同様の記事が見え,この際,青方高能(高直の子)が負傷していることがわかる(同前)以後,戦国期に至るまで蒲池氏の勢力圏内にあったと考えられる天正年間の作成と考えられる田尻鑑種知行坪付に「津留村 五十五丁」と見える(佐賀県史料集成7)また,浜田村等坪付にも「五十五町 津留村」と見える(同前)これは,田尻鑑種が竜造寺隆信に同心したことに対する安堵地として挙げられた338町の一部をなすものであり,この坪付に記された「万一,鎮並此方和談ニ罷成候ハゝ,堅鑑種御知行肝要候矣」との文言から,元来は蒲池鎮並の領有に属していたことがわかる一方,田尻鑑種本領村数等覚書には「津留城番 田尻石見守」が見える(同前)津留城は,天文17年築城の鷹尾本城の北方に位置する支城として田尻氏の重要拠点の1つであったなお,文禄4年12月1日付の筑後国知行方目録には,「一,百九石六斗九升 津留村」と見える(立花文書/大友史料28)正保2年の矢部川掘替によって津留村は東・西に分断された現在の瀬高町東津留と大和町六合に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」