ケータイ辞書JLogosロゴ 戸豊水村(近世)


熊本県>菊池市

江戸期〜明治9年の村名菊池郡のうち迫間【はざま】川支流豊間川に注ぐ戸豊水川流域の山間に位置する土豊水村とも記され,「とりょうづ」「どれうず」などともよまれる(事蹟通考など)「菊池風土記」は土豊水は土量水の誤りとするが,「菊池郡市神社誌」は古川井手開削の時に土豊水から戸豊水に改めたという熊本藩領慶長9年の検地帳(県立図書館蔵文書)では,高164石うち田84石・畠80石村高は,「寛永郷帳」164石,「正保郷帳」も同高でうち田84石・畠80石,「天保郷帳」165石余,「旧高旧領」198石余「肥後国誌」によれば河原手永に属し,高196石余,小村に百和田がある文化・文政年間の河原手永手鑑によれば,高196石余,請免は96石余,竈数35・人数177,牛32,駄馬39(肥後藩の農村構造)文化13年完成の古川井手は,旱魃時に川下の水量が激減するため,天保4年豊後国津江郡兵藤山の谷川を引き兵戸(兵藤)井手を造り,古川井手へ流して水量を補充した当村はその流末部にあたり,工事中の天保3年には観音岳の岩窟に竜頭観音を刻み井手の成就を祈っているまた文久元年には村内の高台に,水分神の碑をたて,開削者を顕彰している氏神は戸豊水菅原神社で,延宝8年の創建また百把田皇太神宮は寛延4年創祀という(菊池郡市神社誌)熊本県を経て,明治5年白川県に所属同9年豊間村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7453007
最終更新日:2009-03-01




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