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- 中江村(近世)とは
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中江村(近世) 江戸期~明治15年頃の村名礪波【となみ】郡五箇山【ごかやま】小谷【おたに】のうち加賀藩領庄【しよう】川の中流に位置する地内に縄文中期の住居跡遺跡がある十村組は利賀谷組に属す元和5年の検地による村高は159石余(加越能三箇国高付帳)入谷【いりたん】村と村高を分けて明暦2年の村御印では村高54石余・免5.83,定納金子1枚3両余,塩硝役金子・蝋漆蓑紙役金子合わせて定納は1枚5両余,合計を銀子に換算すると743匁(加越能文庫)戸数は寛文年間11・天保10年26年貢代銀には塩硝・紙・蓑の生産代金を当てた塩硝などの産物は藩や城端【じようはな】町の判方商人に売って換金されたが,城端町判方商家から米を借りたため判方商家へ従属する形となった村領が狭いため,たびたび田地割替をした(東中江区有文書)明治5年の戸数23・人口156,田1反歩・畑9町歩・山林49町歩(明治初年の礪波)同9年石川県に所属明治15年頃郡内に同名村があったため東中江村と改称 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中江村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中江村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」